解説
[1839~1907]幕末から明治時代の大名、華族。天保10年7月28日生まれ。酒井忠誨の4男。実兄酒井忠績の養子となり、慶応3年播磨(兵庫県)姫路藩主酒井家9代。同年老中。翌年鳥羽・伏見の戦いに敗れ、徳川慶喜とともに江戸に逃走、蟄居となった。のち男爵。明治40年11月10日死去。69歳。名は「ただとう」ともよむ。お墓
場所:染井霊園(東京都豊島区駒込5-5-1)(1種イ8号9側) 墓正面:正三位男爵酒井忠惇墓 撮影:2024年 |
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