解説
[1693~1751]江戸時代中期の歌舞伎役者。元禄6年生まれ。上方で活躍したが、のち江戸にいき2代市川団十郎、初代沢村宗十郎、初代大谷広次とともに四天王とよばれた。「大経師」の茂兵衛が出世役となり、実事、武道事を得意とした。寛延4年1月1日死去。59歳。前名は坂東菊松。俳名は薪水。屋号は万屋。お墓
場所:大雲寺(東京都江戸川区瑞江4-11-5) 墓正面:鶴樹院常榮日芳 撮影:2014年 |
関連人物
子コラム
歌舞伎界で活躍した初代と二代目坂東彦三郎。その最期の眠りの場所には、興味深い歴史が刻まれています。東京名墓顕彰会の『掃苔 8(12)』(1939年)が明かすところによると、初代と二代目坂東彦三郎の墓は、もともと江東区の浄心寺にありました。この頃から三名の合同墓だったとされています。しかし平成18年(2006年)、その眠りの場所は東京都江戸川区の大雲寺へと移されることになったのです。墓石には三名の戒名が刻まれており、中央には「鶴樹院常榮日芳」(初代坂東彦三郎)、左側には「妙果院薪水日成」(二代目坂東彦三郎)、そして右側には「養樹院妙榮日昌」(詳細不明)と記されています。
興味深いのは、右側に刻まれた「養樹院妙榮日昌」という人物の正体が、現在に至るまで謎のままであることです。初代と二代目の戒名と没年は記録と一致するため間違いありませんが、この第三の人物については、『掃苔 8(12)』においても「詳細不明」と記されている通り、どのような関係でこの墓に合葬されているのかが分かっていません。
これにより、歌舞伎界を彩った名優たちの墓に刻まれた謎の人物の正体は、浄心寺から大雲寺への改葬を経てもなお、ついに永遠の謎として残されることになったのです。
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