解説
[760?~840?]奈良から平安時代前期の僧。天平宝字4年?生まれ。藤原仲麻呂の子といわれる。奈良で法相をまなび、20歳ごろ東国へいく。常陸中禅寺、陸奥会津の慧日寺などをひらき、徳一菩薩とよばれた。弘仁6年ごろ「真言宗未決文」をかき、空海に密教への疑問を呈した。8年ごろから最澄と「三一権実論争」をおこなった。承和7年?死去。81歳? 法名は徳溢、得一とも。お墓
場所:彗日寺跡(福島県耶麻郡磐梯町大字磐梯字寺西38) 撮影:2009年 |
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