徳川茂承(とくがわ もちつぐ)

2020/03/04

2010年 華族 最後の藩主 大名 和歌山県

解説

[1844~1906]幕末から明治時代の大名、華族。天保15年1月15日生まれ。伊予(愛媛県)西条藩主松平頼学の7男。徳川慶福(のちの14代将軍家茂)の跡をつぎ、安政5年紀伊和歌山藩主徳川家14代となる。第2次幕長戦争では幕府軍の先鋒総督。津田出を登用して藩政改革を実施。のち侯爵、貴族院議員。明治39年8月20日死去。63歳。初名は頼久。

お墓

場所:長保寺(和歌山県海南市下津町上689)
墓正面:慈承院殿剛健日純大居士 撮影:2010年

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東京都在住の40代男性です。2005年から墓マイラーを始めました。

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