高橋お伝(たかはし おでん)

2017/11/24

2024年 東京都

解説

[1850~1879]明治時代の女性。嘉永3年生まれ。明治9年東京浅草で古着商を殺害して捕らえられ、12年1月31日斬首刑に処される。30歳。刑死後仮名垣魯文の「高橋阿伝夜叉譚」をはじめ、歌舞伎、読み物、小説にとりあげられ、人殺しをかさねた希代の毒婦とされた。上野(群馬県)出身。本名はでん。

お墓

場所:回向院(東京都荒川区南千住5-33-13)
墓正面:榮傳信女 撮影:2024年
場所:谷中霊園(東京都台東区谷中7-5-24)(甲2号1側)
墓正面:高橋お伝の墓 撮影:2024年

コラム

「明治の毒婦」として語り継がれる高橋お伝。しかし、その暗いイメージは、仮名垣魯文の小説『高橋阿伝夜刃譚』が生み出した創作の産物でした。


実際のお伝は、夫の看病に献身的な女性だったと伝えられています。夫の死後、毒殺の噂が広まりましたが、それを裏付ける証拠は一切見つかっていません。


谷中霊園に建つお伝の供養塔は、明治14年(1881年)、お伝の三回忌に建立されました。注目すべきは、その建立の発起人が、小説で「毒婦」イメージを広めた仮名垣魯文自身だったことです。守田勘彌、尾上菊五郎、市川左團次といった歌舞伎界の名優たちも、この供養に名を連ねました。この建立には、自身の創作で傷つけたお伝の名誉への贖罪の想いが込められていたのかもしれません。


虚構と真実が交錯する歴史の中で、この供養塔は私たちに問いかけています―人の記憶とは何か、真実とは何か、そして名誉とは何かを。

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東京都在住の40代男性です。2005年から墓マイラーを始めました。

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