解説
[1502~1555]戦国時代の茶人。文亀2年生まれ。父信久は堺の有力町衆。はじめ京都で三条西実隆に和歌、連歌を、のち茶の湯を村田珠光の門人村田宗珠、十四屋宗伍らにまなぶ。珠光の侘茶をひろめ、門人に千利休、今井宗久、津田宗及らがいる。弘治元年閏10月29日死去。54歳。名は仲材。通称は新五郎。号は一閑、大黒庵。お墓
場所:南宗寺(大阪府堺市堺区南旅篭町東3-1) 撮影:2009年 |
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