解説
[1783~1835]江戸時代後期の医師、蘭学者。天明3年生まれ。江戸で大槻玄沢に、京都で稲村三伯にまなぶ。文化14年大坂で開業し、蘭学塾をひらく。斎藤方策と共訳の「把而翕湮解剖図譜」を刊行。天保6年3月26日死去。53歳。丹後(京都府)出身。本姓は上田。名は環。字は環中。通称は耕助。別号に思々斎。著作に「視学一歩」など。お墓
場所:龍海寺(大阪府大阪市北区同心1-3-1) 撮影:2016年 |
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