解説
[1835~1901]幕末から明治時代の思想家。天保5年12月12日生まれ。豊前中津藩(大分県)藩士。大坂の適塾でまなび、安政5年江戸で蘭学塾(のちの慶応義塾)をひらく。英学を独修し、7年幕府の遣米使節に同行して咸臨丸で渡米。以後2回欧米を視察。元治元年幕臣となり外国奉行翻訳方をつとめる。維新後は官職を辞して生涯野にあった。明治15年「時事新報」を創刊。人間の独立自尊、実学の必要性を説き、脱亜論をとなえた。明治34年2月3日死去。68歳。著作に「西洋事情」「学問のすゝめ」「文明論之概略」など。お墓
場所:善福寺(東京都港区元麻布1-6-21) 墓正面:福澤諭吉之墓 撮影:2022年 |
肖像
出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 |