解説
[1824~1869]幕末の兵学者。文政7年3月10日生まれ。緒方洪庵にまなび、伊予(愛媛県)宇和島藩につかえる。幕府の蕃書調所、講武所につとめ、万延元年から長門(山口県)萩藩で軍制改革に参画。維新後、新政府の兵部大輔として近代兵制確立につとめたが、明治2年9月京都で神代直人らにおそわれ負傷、同年11月5日に死亡。46歳。周防(山口県)出身。本姓は村田。名は永敏。通称は惣太郎、蔵六。号は亮(良)庵。お墓
場所:大村益次郎墓(山口県山口市鋳銭司3502) |
場所:龍海寺(大阪府大阪市北区同心1-3-1) 墓正面:大村兵部大輔埋腿骨之地 撮影:2016年 |
肖像
出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 |