解説
[1801~1879]幕末から明治時代の公卿。享和元年10月16日生まれ。尊攘派。日米修好通商条約勅許に反対して八十八卿の列参奏上に参加。文久2年勅使として幕政改革と攘夷実行の勅命を将軍徳川家茂に伝達。慶応2年佐幕派公卿の追放を建議し、閉門となる。明治2年集議院長官。明治12年4月1日死去。79歳。幼名は常麿。字は徳義。お墓
| 場所:谷中霊園(東京都台東区谷中7-5-24)(乙6号5側) 墓正面:贈正二位大原重徳墓 撮影:2021年 |
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