中江兆民(なかえ ちょうみん)

2017/09/29

2020年 思想家 東京都

解説

[1847~1901]明治時代の思想家。弘化4年11月1日生まれ。江戸で箕作麟祥の塾にまなぶ。明治4年フランスに留学。帰国後、仏学塾をひらく。東京外国語学校長、ついで元老院権少書記官をつとめるが、10年元老院を辞し、以後在野で活躍。14年西園寺公望らと「東洋自由新聞」を創刊。15年ルソーの「社会契約論」を翻訳、注解した「民約訳解」を刊行。20年保安条例により東京を追放され、大阪で「東雲新聞」を創刊して、反政府、自由民権の論陣をはる。23年第1回総選挙で衆議院議員(翌年辞職)。晩年は実業にたずさわるが失敗し、著述に専念した。明治34年12月13日死去。55歳。土佐(高知県)出身。本名は篤介(助)。別号に南海仙漁、秋水、木強生。著作に「三酔人経綸問答」「一年有半」など。

お墓

場所:青山霊園(東京都港区南青山2-32-2)(1種イ1号24側)
墓正面:兆民中江先生瘞骨之標 撮影:2020年

肖像

出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」

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東京都在住の40代男性です。2005年から墓マイラーを始めました。

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