解説
[1251~1284]鎌倉時代の武将。建長3年5月15日生まれ。北条時頼の子。母は北条重時の娘。文永元年連署となり、3年将軍宗尊親王を廃し、惟康親王を擁立。5年8代執権につく。9年庶兄の北条時輔らを討ち、得宗としての地位を確定。九州の防備体制をかため、2度の蒙古軍の来襲を撃退(文永・弘安の役)。禅宗に帰依し、無学祖元をまねき円覚寺を建立した。弘安7年4月4日死去。34歳。幼名は正寿。通称は相模太郎。法名は道杲。お墓
場所:円覚寺仏日庵(神奈川県鎌倉市山ノ内409) 撮影:2011年 |
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