解説
[1866~1909]明治時代の篆刻家。慶応2年生まれ。東京にでて、はじめ金子蓑香にまなぶ。のち4代蔵六の養嗣子となり、5代をつぐ。中国の呉昌碩とまじわり、作風がおおきくかわった。明治42年11月25日死去。44歳。陸奥弘前(青森県)出身。本姓は三谷。名は裕。字は有孚。通称は立平。号は無咎、雕虫窟主人。著作に「蔵六居印藪」「結金石縁」。お墓
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場所:谷中霊園内天王寺墓地(東京都台東区谷中7-5-24) 墓正面:華蔵院天仙無咎居士 撮影:2024年 |
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