解説
[1842~1917]幕末から大正時代の医学者。天保13年5月生まれ。江戸で木村軍太郎に蘭学、西洋砲術を、福沢諭吉に英学を、大坂で緒方洪庵に医学をまなぶ。明治2年医学所塾頭。のち陸軍軍医総監、東京大学教授を兼任し、ついで陸軍軍医学校長となる。大正6年7月7日死去。76歳。遠江(静岡県)出身。字は士得。号は菊径、欲堂。著訳書に「軍陣外科学」「敏氏薬論」など。お墓
場所:谷中霊園内天王寺墓地(東京都台東区谷中7-5-24) 墓正面:陸軍々醫正五位勲二等足立寛之墓 撮影:2024年 |
古今東西、紀元前から平成まで日本全国「3,100人以上」の有名人のお墓を紹介しています。
墓マイラーが行く。
0 件のコメント:
コメントを投稿