解説
[1671~1733]江戸時代前期から中期の富士講行者。寛文11年1月17日生まれ。江戸で油商として成功。17歳のとき富士講5世の月行劊忡に入門。加持祈祷中心の村上光清の光清派を批判し、実践倫理を重視する身禄派をおこす。「身禄(弥勒)の世」の到来を予言し、富士山で断食入定、「烏帽子岩三十一日之巻」を口述し、享保18年7月17日絶命。63歳。伊勢(三重県)出身。俗名は伊藤伊兵衛。お墓
場所:海蔵寺(東京都文京区向丘2-25-10) 撮影:2023年 |
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