解説
[1821~1905]江戸後期から明治時代、勝海舟の妻。文政4年2月13日生まれ。弘化2年寄合旗本岡野孫一郎の養女として海舟と結婚。炭屋の娘で芸者をしていたとも、裕福な質屋の娘であったともいわれ、出自に諸説がある。2男2女を生み、妻妾同居の家庭をとりしきった。明治38年5月23日死去。85歳。本姓は不詳。別名はきち。お墓
場所:洗足池公園(東京都大田区南千束2-14-5) 墓正面:勝海舟室 撮影:2014年 |
関連人物
夫 子コラム
小西四郎の著書『勝海舟のすべて』(1985年)によると、勝たみのお墓はもともと青山霊園にありました。夫である勝海舟のお墓は洗足池にありましたが、彼女は「私しゃ小鹿のそばがいい。決して、勝のそばには埋めてくれるでない。」という遺言を残していたため、息子の小鹿が眠る青山霊園に埋葬されました。しかし、昭和28年(1953年)7月に、勝海舟のお墓の隣へ改葬されることとなります。これは、小鹿の子である伊代子の婿養子・勝精の判断によるものでした。興味深いのは、勝たみのお墓が勝海舟のお墓とほぼ同型であるため、改葬時に新しく建てられたと思われがちですが、小西四郎の著書によると、実際には青山霊園時代から現在のお墓だったとのことです。
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