解説
[1807~1891]江戸後期から明治時代の日本画家、漆芸家。文化4年2月7日生まれ。古満寛哉に蒔絵を、鈴木南嶺、岡本豊彦に円山四条派の絵をまなぶ。天保11年江戸の王子稲荷神社に絵馬「鬼女図」を奉納、評判となる。のち蒔絵の青海波塗を復活させ、内外の博覧会に蒔絵額、漆絵を出品し受賞。明治23年帝室技芸員。明治24年7月13日死去。85歳。江戸出身。名は順蔵。字は儃然。別号に令哉、対柳居。お墓
場所:称福寺(東京都台東区今戸2-5-4) 墓正面:弘道院釈是真居士 撮影:2020年 |
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