解説
[1764~1812]江戸時代中期から後期の大名。明和元年生まれ。六郷政林の3男。長兄は早世、次兄は病弱のため、天明5年出羽本荘藩(秋田県)藩主六郷家7代となる。文化元年象潟大地震で大破した城を修復し、陸地化して消滅した景勝地象潟の開発にあたる。石沢騒動とよばれた農民騒動や廻船問屋の商争いの解決にもつとめた。文化9年10月26日死去。49歳。初名は政武。通称は尚三郎。お墓
場所:萬隆寺(東京都台東区西浅草3-27-22) 撮影:2019年 |
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