解説
[1845~1918]明治から大正時代の神職、政治家。弘化2年8月6日生まれ。千家尊澄の長男。明治5年出雲大社大宮司となり、政府の大教正を兼任。15年神道大社教(現出雲大社教)をおこし初代管長となる。21年元老院議官。以後貴族院議員、東京府知事、第1次西園寺内閣の法相などをつとめた。大正7年1月3日死去。74歳。出雲(島根県)出身。著作に「大道要義」「国廼真柱」など。お墓
場所:松林寺(島根県出雲市大社町杵築東625) 墓正面:貴族院議員正二位勲一等前出雲國造男爵千家尊福奥都城 撮影:2024年 |
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