腕の喜三郎(うでのきさぶろう)

2017/11/18

2024年 侠客 東京都

解説

[1642~1715]江戸時代前期の侠客。寛永19年生まれ。寛文のころ江戸神田で旗本奴と喧嘩。相手を数人きったが、自分も片腕をきられておちんばかりとなったので、その腕を鋸できりとらせたという。以来腕の喜三郎とよばれ、のち歌舞伎などに脚色された。正徳5年12月死去。74歳。姓は野出。

お墓

場所:回向院(東京都荒川区南千住5-33-13)
墓正面:腕の喜三郎之墓 撮影:2024年

コラム

南千住の回向院に、ひときわ異彩を放つ墓石があります。腕の形をした奇妙な墓碑―それは「腕の喜三郎」こと野出喜三郎の眠る場所です。


回向院は、小塚原刑場で命を落とした罪人たちの供養の場として知られています。鼠小僧次郎吉や高橋お伝など、江戸の世を騒がせた人々の最期の眠りの場として、今も多くの人々が訪れます。


しかし、喜三郎の最期は異なりました。侠客として江戸の街を生き抜いた彼は、後に僧侶となって生涯を閉じたと伝えられています。処刑された訳ではない喜三郎の墓が、なぜこの地にあるのか―その謎は今も解かれていません。


興味深いのは、その墓の位置です。喜三郎の墓は、歌舞伎や講談で名高い鼠小僧、片岡直次郎、高橋お伝の墓と並んでいます。これは、大衆文化の中で人気を博した彼らを、後世の人々が共に供養しようとした証かもしれません。


そして、もう一つの謎。喜三郎が切り取ったのは左腕でしたが、墓石は右腕の形をしているのです。この「左右の違い」もまた、解き明かされていない歴史の謎として、静かに私たちに語りかけています。

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東京都在住の40代男性です。2005年から墓マイラーを始めました。

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