腕の喜三郎(うでのきさぶろう)

2017/11/17

2024年 侠客 東京都

解説

[1642~1715]江戸時代前期の侠客。寛永19年生まれ。寛文のころ江戸神田で旗本奴と喧嘩。相手を数人きったが、自分も片腕をきられておちんばかりとなったので、その腕を鋸できりとらせたという。以来腕の喜三郎とよばれ、のち歌舞伎などに脚色された。正徳5年12月死去。74歳。姓は野出。

お墓

場所:回向院(東京都荒川区南千住5-33-13)
墓正面:腕の喜三郎之墓 撮影:2024年

コラム

江戸の侠客として知られる「腕の喜三郎」こと野出喜三郎。その最期の眠りの場所には、興味深い歴史が刻まれています。

南千住の回向院に、ひときわ異彩を放つ腕の形をした奇妙な墓石があります。しかし、伝承が明かすところによると、侠客として江戸の街を生き抜いた彼は、後に僧侶となって生涯を閉じたと伝えられています。処刑された訳ではない喜三郎の墓が、なぜ小塚原刑場跡の回向院にあるのか、その理由は今も解明されていません。

興味深いのは、その墓の位置です。喜三郎の墓は、歌舞伎や講談で名高い鼠小僧、片岡直次郎、高橋お伝の墓と並んでいます。これは、大衆文化の中で人気を博した彼らを、後世の人々が共に供養しようとした証と考えられます。そして、もう一つの謎として、喜三郎が切り取ったのは左腕でしたが、墓石は右腕の形をしていることが挙げられます。

これにより、この「左右の違い」もまた、解き明かされていない歴史の謎として、静かに私たちに語りかけることになったのです。

参考サイト

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