解説
[1755~1836]江戸時代中期から後期の探検家。宝暦5年生まれ。江戸で本多利明に天文、測量などをまなぶ。天明5年以降幕府の蝦夷地調査隊にくわわり、択捉島、ウルップ島などにわたる。のちシーボルトに蝦夷地図を貸与し、アイヌ語辞典を共編した。天保7年9月5日死去。82歳。出羽村山郡(山形県)出身。本姓は高宮。名は常矩。著作に「蝦夷草紙」「度量衡説統」など。お墓
場所:蓮光寺(東京都文京区向丘2-38-3) 墓正面:贈正五位最上徳内之墓 撮影:2023年 |
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