解説
[1775~1844]江戸時代後期の探検家。安永4年生まれ。寛政12年蝦夷地御用掛雇となり、伊能忠敬に測量術をまなぶ。文化5年松田伝十郎とともに樺太を探検、樺太が島であることを確認。これがシーボルトの「日本」で紹介され間宮海峡の名が後世にのこった。晩年は幕府隠密としてはたらいた。天保15年2月26日死去。70歳。常陸(茨城県)出身。名は倫宗。著作に「北蝦夷図説」など。お墓
場所:間宮林蔵墓所(東京都江東区平野2-7-8) 墓正面:間宮林蔵蕪崇之墓 撮影:2008年 |
古今東西、紀元前から平成まで日本全国「3,000人以上」の有名人のお墓を紹介しています。
場所:間宮林蔵墓所(東京都江東区平野2-7-8) 墓正面:間宮林蔵蕪崇之墓 撮影:2008年 |
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