解説
[1771~1829]江戸時代後期の武士、探検家。明和8年2月21日生まれ。幕臣。寛政10年松前蝦夷地御用となり、最上徳内の先導で千島列島などを踏査、択捉島に「大日本恵土呂府」の標識をたてる。のち書物奉行、大坂弓奉行などを歴任。長男富蔵が殺傷事件をおこしたため、文政10年近江(滋賀県)大溝藩預けとなった。文政12年6月16日死去。59歳。名は守重。号は正斎。著作に「金銀図録」「巡夷録」など。お墓
場所:西善寺(東京都文京区向丘1-13-8) 撮影:2016年 |
古今東西、紀元前から平成まで日本全国「3,000人以上」の有名人のお墓を紹介しています。
場所:西善寺(東京都文京区向丘1-13-8) 撮影:2016年 |
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