山東直砥(さんとう なおと)

2025/09/30

2025年 教育者 東京都

解説

[1840~1904]幕末から明治時代の教育者。天保11年2月7日生まれ。もと高野山の僧。河野鉄兜に師事し、大坂にでて松本奎堂の双松岡塾にまなぶ。明治元年箱館府権判府事となる。のち東京で育英事業の北門社を創設した。明治37年2月14日死去。65歳。紀伊和歌山出身。本姓は栗栖。通称は一郎。号は三栗。

お墓

場所:青山霊園(東京都港区南青山2-32-2)(1種ロ16号13側)
墓正面:山東直砥之墓 撮影:2025年

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