解説
[1568~1595]織豊時代の武将。永禄11年生まれ。三好吉房の子。母は豊臣秀吉の姉日秀尼。天正13年羽柴姓を名のり、近江(滋賀県)八幡城主43万石となる。19年秀吉の長男鶴松の夭折で養子となり、関白職もゆずられる。文禄2年秀吉の次男秀頼の誕生後秀吉と不和になり、4年高野山へ追放され、同年7月15日切腹。28歳。初名は信吉。通称は孫七郎。お墓
場所:瑞泉寺(京都府京都市中京区石屋町114) 撮影:2014年 |
古今東西、紀元前から平成まで日本全国「3,000人以上」の有名人のお墓を紹介しています。
墓マイラーが行く。