解説
[1871~1945]明治から昭和時代前期の篆刻家。明治4年4月28日生まれ。篠田芥津にまなび、明治33年上海にわたり、呉昌碩に師事。帰国後、吉金文会、丁未印社を設立。金石、書画の鑑識にすぐれ、「墨蹟大成」「南画大成」を監修、雑誌「書菀」を編集した。昭和20年3月10日死去。75歳。京都出身。名は得、仙郎。別号に木僊、迂辿。お墓
![]() |
場所:天徳寺(東京都港区虎ノ門3-13-6) 墓正面:河井荃廬先生墓 撮影:2024年 |
古今東西、紀元前から平成まで日本全国「3,100人以上」の有名人のお墓を紹介しています。
墓マイラーが行く。
0 件のコメント:
コメントを投稿