大給恒(おぎゅう ゆずる)

2021/06/14

2018年 華族 最後の藩主 大名 東京都

解説

[1839~1910]幕末から明治時代の大名、華族。天保10年11月13日生まれ。松平乗利の次男。嘉永5年三河(愛知県)奥殿藩主松平(大給)家8代となる。文久3年信濃(長野県)田野口(のち竜岡藩に改称)に陣屋をうつす。大番頭から若年寄となり、のち陸軍奉行、老中格、陸軍総裁をつとめる。維新後、賞勲局総裁、枢密顧問官、元老院議官などを歴任。明治10年日本赤十字社の基礎となる博愛社を創立。伯爵。明治43年1月6日死去。72歳。初名は乗謨。

お墓

場所:祥雲寺(東京都渋谷区広尾5−1−21)
墓正面:枢密顧問官 正二位勲一等 伯爵大給恒墓 撮影:2018年

肖像

出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」

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東京都在住の40代男性です。2005年から墓マイラーを始めました。

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