解説
[1799~1876]江戸後期から明治時代の儒者。寛政11年1月1日生まれ。安井滄洲の次男。日向(宮崎県)飫肥藩士。江戸で昌平黌にはいり、また松崎慊堂に古注学をまなぶ。天保2年藩校振徳堂の助教となり、のち江戸に三計塾をひらく。文久2年昌平黌教授。ペリー来航のときあらわした「海防私議」は徳川斉昭にみとめられた。明治9年9月23日死去。78歳。名は衡。字は仲平。お墓
場所:養源寺(東京都文京区千駄木5-38-3) 撮影:2023年 |
古今東西、紀元前から平成まで日本全国「3,000人以上」の有名人のお墓を紹介しています。
墓マイラーが行く。