鼠小僧(ねずみこぞう)

2017/11/20

2013年 2024年 東京都 盗賊

解説

[1797~1832]江戸時代後期の盗賊。寛政9年生まれ。江戸中村座の木戸番の子。鳶職であったが、文政6年ごろから江戸の武家屋敷を専門に盗みをかさねる。天保3年侵入先で捕らえられ、同年8月19日市中引き回しのうえ獄門となった。36歳。のち芝居、講談などで義賊としてあつかわれた。墓所は回向院(東京都墨田区両国)。名は次郎吉。

お墓

場所:回向院(東京都荒川区南千住5-33-13)
墓正面:源達信士 撮影:2024年
場所:回向院(東京都墨田区両国2-8-10)
墓正面:教覚速善居士 撮影:2013年

コラム

江戸の義賊として名を馳せた鼠小僧次郎吉。その最期の眠りの場所には、興味深い歴史が刻まれています。

全国に点在する五つの墓所―南千住回向院(東京都荒川区)、両国回向院(東京都墨田区)、委空寺(愛知県蒲郡市)、西龍寺(愛媛県松山市)、慈眼寺(兵庫県三木市)。しかし、これらの墓の由来を調べると、江戸で処刑された次郎吉の本墓として、愛知、愛媛、兵庫の三カ所は除外できます。委空寺は母が遺髪を埋めた供養塔、西龍寺は明治末期に歌舞伎関係者が建てた供養塔、慈眼寺は両国回向院からの分骨とされているのです。

興味深いのは、残る二つの回向院についても、実は決定的な証拠がないことです。両国回向院が本墓、あるいは胴体は南千住、頭部は両国に分かれているという説もありますが、これらも確かな根拠は見当たりません。むしろ、当時の処刑者の扱いを考えると、小塚原刑場で処刑された次郎吉の遺体は、正式な埋葬さえされなかった可能性が高いのです。

これにより、現存する五つの墓はいずれも、後世の人々による供養の証として建てられたものと考えられ、鼠小僧という存在が人々の記憶の中でいかに大きな意味を持っていたかを物語りながら、ついに全国各地で永遠の供養を受けることになったのです。

参考サイト

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