解説
[1303~1333]鎌倉時代の武将。嘉元元年生まれ。北条貞時の次男。正和5年14代執権となるが、内管領長崎高資らに実権をにぎられ酒宴、田楽にふけったという。正中3年執権を金沢貞顕にゆずり出家。元弘の乱で後醍醐天皇を隠岐に流したが、新田義貞に攻められ、正慶2=元弘3年5月22日一族とともに鎌倉東勝寺で自刃、鎌倉幕府は滅亡した。31歳。法名は崇鑑。お墓
場所:円覚寺仏日庵(神奈川県鎌倉市山ノ内409) 撮影:2011年 |
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