山岡荘八(やまおか そうはち)

2015/04/30

2009年 小説家 神奈川県

解説

[1907~1978]昭和時代の小説家。明治40年1月11日生まれ。「大衆倶楽部」を創刊し、編集のかたわら作品を発表、のち長谷川伸に師事。戦時中は「御盾」などの戦記小説、従軍記をかく。昭和25年から17年かけて時代小説「徳川家康」を完成させ、43年吉川英治文学賞。経営指南書としてひろく愛読された。昭和53年9月30日死去。71歳。新潟県出身。本名は藤野庄蔵。作品はほかに「春の坂道」など。

お墓

場所:春秋苑(神奈川県川崎市多摩区南生田8-1-1)(第二特別区4側30番)
墓正面:藤野家之墓 撮影:2009年

コラム

『徳川家康』の作者・山岡荘八。その最期の眠りの場所には、興味深い歴史が刻まれています。

『大日光』(1979年)の記録が明かすところによると、昭和53年(1978年)9月30日に逝去した山岡荘八は、10月2日の密葬、9日の青山葬斎場での本葬を経て、17日に春秋苑に埋葬されました。その墓域には、二つの墓石が並んでいます。「藤野家之墓」と「山内家之墓」。山内庄蔵として山内家に生を受けた彼は、藤野秀子との結婚を機に、藤野家の養子となり、藤野庄蔵と名を改めていたのです。

興味深いのは、養家となった藤野家の墓と、生家である山内家の墓を同じ場所に設けることで、彼が二つの家系への変わらぬ想いを形に残したことです。新しい家族を得ても、生家との絆を忘れることはありませんでした。この二つの墓石は、血縁と養子縁組という二つの絆を大切に生きた作家の誠実な生き方を物語っています。

これにより、一人の作家が大切にした二つの家族の絆が、ついに春秋苑の同じ墓域で永遠に刻まれることになったのです。

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