解説
[1148~1225]鎌倉時代の幕府官僚。久安4年生まれ。中原広季の養子。父は大江維光(一説に藤原光能)。学問や法律にくわしく、源頼朝にまねかれて元暦元年鎌倉へいく。公文所、政所の初代別当をつとめ守護・地頭の設置を進言。頼朝の死後は北条氏をたすけ、鎌倉幕府の基礎をつくる。明法博士。嘉禄元年6月10日死去。78歳。号は覚阿。お墓
場所:法華堂跡(神奈川県鎌倉市西御門2) 撮影:2010年 |
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