解説
[1147~1199]鎌倉幕府初代将軍。在職1192-99。久安3年生まれ。源義朝の3男。母は熱田大宮司季範の娘。妻は北条政子。平治の乱後の処分で、伊豆蛭ケ小島(静岡県)に配流。治承4年平氏打倒の兵をあげ、石橋山で大敗するが安房(千葉県)にのがれて勢力を拡大。鎌倉を本拠として東国を支配する。さらに源義仲、平氏、奥州藤原氏を滅亡させて建久3年征夷大将軍となり、わが国初の武家政権を樹立した。建久10年1月13日死去。53歳。お墓
場所:法華堂跡(神奈川県鎌倉市西御門2) 撮影:2010年 |
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場所:法華堂跡(神奈川県鎌倉市西御門2) 撮影:2010年 |
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