解説
[1834~1874]幕末から明治時代の武士、政治家。天保5年2月9日生まれ。肥前佐賀藩士。枝吉神陽の義祭同盟にくわわる。文久2年脱藩し尊攘活動をおこなう。維新後新政府の文部大輔をへて明治5年司法卿となり、司法権の独立、司法制度の整備につくす。6年参議。征韓論がいれられず辞職。7年佐賀で挙兵し、敗れて4月13日処刑された(佐賀の乱)。41歳。名は胤雄。号は南白。お墓
場所:本行寺(佐賀県佐賀市西田代1-4-6) 墓正面:江藤新平君墓 撮影:2019年 |
肖像
出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 |