解説
[1759~1829]江戸時代中期から後期の大名。宝暦8年12月27日生まれ。徳川吉宗の孫。田安宗武の7男。松平定邦の婿養子となり、天明3年陸奥白河藩(福島県)藩主松平(久松)家3代。藩の農政、財政に実績をあげ、7年老中首座、翌年将軍補佐に就任。田沼政治を刷新するため旧里帰農奨励令、札差棄捐令、風俗匡正令、物価引下令、人足寄場設置令、異学の禁などの「寛政の改革」を断行した。文政12年5月13日死去。72歳。号は花月主人、楽翁など。越中守。著作に「国本論」「集古十種」、随筆「花月草紙」、歌集「三草集」、自伝「宇下人言」など。お墓
場所:霊巌寺(東京都江東区白河1-3-32) 墓正面:故白河城主楽翁公之墓 撮影:2012年 |
場所:照源寺(三重県桑名市東方1350) 撮影:2014年 |