解説
[1751~1822]江戸時代中期の大名。寛延4年7月20日生まれ。秋月種美の次男。上杉重定の養子となり、明和4年出羽米沢藩(山形県)藩主上杉家9代をつぐ。細井平洲に師事。竹俣当綱、莅戸太華らを登用。倹約を奨励し、農村復興・殖産興業政策などにより藩財政を改革した。天明5年隠居。跡継ぎの治広にあたえた家訓「伝国之辞」は有名。文政5年3月12日死去。72歳。幼名は直松、直丸。名は治憲。お墓
場所:上杉家廟所(山形県米沢市御廟1-5-30) 撮影:2009年 |
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