夏目漱石(なつめ そうせき)

2015/03/07

2025年 英文学者 小説家 東京都

解説

[1867~1916]明治から大正時代の小説家、英文学者。慶応3年1月5日生まれ。松山中学、第五高等学校で英語教師をつとめ、明治33年文部省留学生としてイギリスに留学。36年母校東京帝大の講師となり「文学論」「十八世紀英文学論」を講じる。38年「ホトトギス」に発表した「吾輩は猫である」が好評を得、40年東京朝日新聞社に専属作家としてむかえられ、近代日本の知識人の自我をめぐる葛藤をえがいた作品をあらわす。正岡子規とまじわり、俳句や漢詩にしたしむ。門下には寺田寅彦、森田草平ら多数。大正5年12月9日死去。50歳。江戸出身。本名は金之助。作品に「坊つちやん」「草枕」「虞美人草」「三四郎」「それから」「門」「こゝろ」「明暗」など。

お墓

場所:雑司ヶ谷霊園(東京都豊島区南池袋4-25-1)(1種14号1側)
墓正面:文献院古道漱石居士 撮影:2025年

肖像

出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」

関連人物

コラム

夏目漱石の墓は、東京都豊島区の雑司ヶ谷霊園にあります。墓石には「文獻院古道漱石居士」「圓明院清操浄鏡大姉」と刻まれており、それぞれ漱石と妻の夏目鏡子であることがわかります。しかし、墓石裏の墓誌には、五女・雛子の名前も刻まれており、3人のお墓であることがわかります。雛子は漱石よりも先に亡くなったため、漱石の墓石が建立された際に、雛子も合葬されたと考えられます。


松岡譲の著書『漱石先生』(1935年)には、夏目漱石の埋骨式は1916年(大正5年)12月28日に行われたことが記されています。同著に掲載されている墓標の写真は「夏目金之助墓」と書かれたもので、現在の墓石とは全く異なることがわかります。


また、同著には、3回忌に雑司ヶ谷霊園の別区画に新たな墓を建立し、改葬したことが書かれています。このことから、漱石は当初から雑司ヶ谷霊園に埋葬されていたものの、後に同霊園内で改葬が行われたことがわかります。

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東京都在住の40代男性です。2005年から墓マイラーを始めました。

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