解説
[1892~1927]大正時代の小説家。明治25年3月1日生まれ。芥川比呂志・也寸志の父。母の実家芥川家の養子となる。東京帝大在学中、久米正雄、菊池寛らと第3次、第4次「新思潮」を創刊。大正5年発表の「鼻」を夏目漱石に激賞され、文壇に登場。「羅生門」「芋粥」などの王朝もの、「奉教人の死」などのキリシタンもので新技巧派の代表的作家となる。神経衰弱をやみ、「或阿呆の一生」「歯車」をかいたのち、昭和2年7月24日自殺。36歳。その名を記念してのち芥川賞がもうけられた。東京出身。旧姓は新原。号は澄江堂主人など。俳号は我鬼。作品はほかに「玄鶴山房」「河童」など。お墓
場所:慈眼寺(東京都豊島区巣鴨5-35-33) 墓正面:芥川龍之介墓 撮影:2024年 |
肖像
出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 |