解説
[1561~1624]織豊から江戸時代前期の大名。永禄4年生まれ。福島正信の長男。豊臣秀吉につかえ、賤ケ岳の戦い(七本槍のひとり)、小牧・長久手の戦い、朝鮮出兵などで活躍。文禄4年尾張清洲城主となる。関ケ原の戦いでは徳川方につき、安芸広島藩主。49万8000石。広島城の無断修築をとがめられて領地没収となり、元和5年信濃川中島4万5000石にうつされ、高井野に蟄居した。寛永元年7月13日死去。64歳。幼名は市松。通称は左衛門大夫。号は高斎。お墓
場所:岩松院(長野県上高井郡小布施町615) |
場所:正覚院(東京都港区三田4-11-26) 撮影:2013年 |
場所:不動院(広島県広島市東区牛田新町3-4-9) 撮影:2017年 |