解説
[1805~1859]江戸時代後期の武士。文化2年生まれ。江戸蔵前の豪商の手代だったが、旗本のお抱え医師を婿養子にむかえてその姓を名のり、士分につらなる。京都にでて三条実万につかえ、尊攘派と交遊。江戸にもどり情報を収集して京都におくる。安政5年別件で逮捕され、押収された書類から大量の捕縛者をだし、これが安政の大獄の引き金となった。安政6年10月7日橋本左内らとともに処刑された。55歳。名は友輔。お墓
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場所:回向院(東京都荒川区南千住5-33-13) 墓正面:飯泉喜内之遺墳 撮影:2025年 |
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