解説
[1804~1884]江戸時代後期の大名。文化元年2月19日生まれ。間部詮煕の3男。兄詮允の養子となり、文化11年越前(福井県)鯖江藩主間部家7代。寺社奉行、大坂城代、京都所司代をへて、天保11年老中となり、14年辞任。安政5年老中に再任され、通商条約に勅許をえるため朝廷工作をおこない、尊攘派を弾圧。6年大老井伊直弼と対立して老中を辞任。明治17年11月28日死去。81歳。初名は詮良。字は慈郷。通称は鉞之進。号は松堂。下総守。お墓
場所:法華経寺(千葉県市川市中山2-10-1) 撮影:2023年 |
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