解説
[1428~1481]室町時代の武将。応永35年4月19日生まれ。応仁の乱を機に守護斯波氏にかわって越前(福井県)を支配。一乗谷を本拠に戦国大名としての基盤をきずく。家訓「朝倉敏景十七箇条」をのこした。文明13年7月26日死去。54歳。初名は教景、のち繁景、敏景。通称は孫右衛門尉、弾正左衛門尉。法名は英林宗雄。お墓
場所:一乗谷朝倉氏遺跡(福井県福井市城戸ノ内町) 撮影:2022年 |
古今東西、紀元前から平成まで日本全国「3,000人以上」の有名人のお墓を紹介しています。
墓マイラーが行く。
0 件のコメント:
コメントを投稿