解説
[1302~1356]鎌倉から南北朝時代の武将。乾元元年生まれ。宇都宮貞綱の子。下野(栃木県)宇都宮城主。元弘の乱には幕府側として楠木正成とたたかう。のち後醍醐天皇方にしたがい、建武政権では雑訴決断所一番の奉行となる。同政権が崩壊後も南朝方について各地を転戦した。延文元=正平11年10月20日死去。55歳。初名は高綱。お墓
場所:興禅寺(栃木県宇都宮市今泉3-5-13) 撮影:2019年 |
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