解説
[1338~1374]南北朝時代、北朝第4代天皇。在位1352-71。建武5=延元3年3月2日生まれ。光厳天皇の第2皇子。母は藤原秀子(陽禄門院)。崇光天皇の同母弟。室町幕府内の紛争で北朝の天皇、皇太子が廃され(正平一統)、北朝の天皇が不在となるが、足利義詮によって親王宣下も神器もなく、後伏見天皇妃(広義門院)の命令という異常な方法で即位した。在位20年の間、南北両朝の抗争のためしばしば京都を脱出した。応安7=文中3年1月29日死去。37歳。墓所は深草北陵(京都市伏見区)。諱は弥仁。法名は光融。歌集に「後光厳院百首和歌」、日記に「後光厳院御記」。お墓
場所:深草北陵(京都府京都市伏見区深草坊町) 撮影:2021年 |
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