解説
[1836~1893]明治時代の官僚。天保7年生まれ。文久3年伊藤博文らとイギリスに留学、ロンドン大でまなぶ。大蔵省にはいり、大蔵大丞などをへて、明治14年造幣局長となり、近代的貨幣制度を導入した。16年から花見の時期に局構内を一般に開放、「造幣局の通り抜け」として今も大阪市民にしたしまれる。明治26年9月13日死去。58歳。長門(山口県)出身。お墓
場所:麟祥院(東京都文京区湯島4-1-8) 墓正面:松雲院殿庸山志信大居士 撮影:2022年 |
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