解説
[1740~1813]江戸時代中期から後期の大名。元文4年12月8日生まれ。本多忠如の長男。宝暦4年陸奥泉藩(福島県)藩主本多家2代となり、藩財政の再建に力をそそいだ。松平定信に抜擢され若年寄、側用人をへて老中格となり、定信の寛政の改革に補佐役として尽力。文化9年12月15日死去。74歳。通称は雄之進、大蔵。号は水翁。お墓
場所:弘福寺(東京都墨田区向島5-3-2) 墓正面:本多家累代墓 撮影:2019年 |
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