解説
[1745~1805]江戸時代中期から後期の大名。延享2年2月9日生まれ。阿部正右の3男。兄ふたりが早世し、父の跡をつぎ、明和6年備後(広島県)福山藩主阿部家4代となる。奏者番、寺社奉行となり、出費増による苛政で天明7年の大一揆を誘発。同年老中にすすむがまもなく辞任し、藩政の立て直しに尽力した。6年藩校弘道館を開設。享和3年隠居。文化2年8月21日死去。61歳。お墓
場所:谷中霊園内寛永寺墓地(東京都台東区谷中7-5-24) 墓正面:煕德院殿勇誉哲心義山大居士 撮影:2017年 |
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