解説
[1775~1826]江戸時代後期の大名。安永3年12月24日生まれ。阿部正倫の3男。父の跡をつぎ、享和3年備後(広島県)福山藩主阿部家5代となる。奏者番、寺社奉行をへて、文化14年老中にすすむ。藩財政の再建につとめ、義倉を設立して凶作に対処。文教も奨励し、菅茶山に「福山志料」を編集させた。文政9年6月20日死去。53歳。字は子純。号は棕軒。お墓
場所:谷中霊園内寛永寺墓地(東京都台東区谷中7-5-24) 墓正面:謙徳院殿満誉清高良節大居士 撮影:2017年 |
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