解説
[1539~1610]織豊から江戸時代前期の画家。天文8年生まれ。長谷川派の祖。はじめ信春の号で仏画、肖像画を制作。のち京都で狩野派の画風や雪舟の水墨画などをまなび、金碧障壁画と水墨画に独自の画風を創造した。前者に智積院の「楓図」、後者に「松林図屏風」「枯木猿猴図」などがある。日通が筆録した「等伯画説」は日本初の画論。慶長15年2月24日死去。72歳。能登(石川県)出身。本姓は奥村。通称は又四郎。お墓
場所:本法寺(京都府京都市上京区本法寺前町617) 墓正面:法眼 長谷川等伯之墓 撮影:2016年 |