解説
[1734~1799]江戸時代中期から後期の天文家、医師。享保19年2月6日生まれ。綾部絅斎の4男。豊後(大分県)杵築藩主松平親貞の侍医となったが勉学のため脱藩し、大坂にでて暦学を研究。私塾先事館を創設し、高橋至時、間重富らをそだてた。「侍中法(時中法)」とよぶ暦をつくって名をあげ、算学や動物解剖でも知られる。寛政11年5月22日死去。66歳。名は妥彰。号は正庵、璋庵。著作に「消長法」など。お墓
場所:浄春寺(大阪府大阪市天王寺区夕陽丘町5-3) 撮影:2016年 |
古今東西、紀元前から平成まで日本全国「3,000人以上」の有名人のお墓を紹介しています。
場所:浄春寺(大阪府大阪市天王寺区夕陽丘町5-3) 撮影:2016年 |
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